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技術者が作った実際に機能を果たす機械を目の当たりにして、科学者が研究に参画するようになる。

そのような科学者は、科学を大いに発展させ、加えて、設計者への科学の技術移転の橋渡し役を果たすようになる。

補足:
機械には設計技術と操作技術がある。操作技術は実機がないと獲得できない。また、操作技術は制御・操作系の設計技術に活かされる。

発想の元:

いずれもJr.,John D. Anderson=著, 織田 剛=訳 : 空気力学の歴史 (京都大学学術出版会, 2009)から。


オットー・リリエンタールの「標準型グライダー」を購入したニコライ・ジューコフスキー(p.207)。なお、ジューコフスキーはリリエンタールを訪問して、彼の飛行を見ている。(p.208)

ルイ=チャールズ・ブレゲは、1908年にフランスで行われたウィルバー・ライトの飛行実演に刺激された(p.416)。

p.340

クッタ、ジューコフスキー、プラントルは飛行機に夢中になっていた。19世紀と比較すると何という違いだろうか。当時は、尊敬される学者達はいかなる飛行機との関わりを持つことも避けていた。その結果、19世紀には科学から動力飛行機の設計への技術伝達が全く欠けていた。
 学者達の考え方を変えたのは何だったのか。それはリリエンタールとライト兄弟の小さな実績であった。


関連:
ヘンリー・ペトロスキー=著, 中島 秀人・綾野 博之=訳 : 橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学 (朝日選書, 2001) p.110.

 数学者や科学者達が必ずしも思い出したがらない事実だが、技術の相当数はまず成功した後にその理論的理解が生まれたのである。もちろん古典的な例は蒸気機関であり、熱力学の工学が成立するはるか以前にそれは発明され、高度の信頼性にまで発展した。実際、動く蒸気機関という人工物自体が、その動作についての理論を呼び起こしたのである。



補足の発想の元:

p.5.

1914年7月にロンドンで開催された王立航空協会でイギリス人飛行士 B・C・ハンクスが行った講演...「私は今日の飛行の水準は機械類の改良よりも操縦技術の向上によるところの方がはるかに大きいと考えている。」


p.208

ラングレーは動力飛行を試みる前に飛行技術を学ぶことの価値を認めていなかった。...リリエンタールは動力飛行を試みる前に空中飛行を経験しておく必要があると確信していた。...そしてライト兄弟のやり方でもあった。

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