Blog 一番星

雑記。ときどき日記。


 

 現在、本ブログには個人的なことを書いています。
  社会系の記事は「TAKAGI-1の目から」に、
  科学・技術系の記事は「TAKAGI-1の科学・技術的日々」に書いています。
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森 有正 : 生きることと考えること (講談社現代新書, 1970)

p.84. [自分の中の経験に結びつけられて普遍的なものとなる]

>ほんとうに生きるということは、ほんとうに考えることだということの意味は、ほんとうに生きることによって、個的なものと普遍的なものとが、自分の名前を与えるという決定的な行為において、自分の中の経験に結びつけられて普遍的なものとなるということです。


p.88. [自分の中に実体がなくてはならない]

> 第二には、ヒューマニズムというのは一つの「ことば」ですから、ことばとしてそれを使うには、やはり自分の中にヒューマニズムということばであらわされる実体がなくてはならない、ということです。実体なしにそれをかってに使って、ヒューマニズムをつくろうといっても、それはことばだけに終わってしまう。(中略) ...平和とか、自由とか、人間とかのばあいも同じことですが、ヒューマニズムに至るためには、ヒューマニズムから出発してもだめなのです。


p.98. [「経験」と「体験」]

> このように、経験というものが過去に凝固して、それが絶えず自分の意識の中で繰り返されるという過程をとる、それが体験です。


p.100. [「体験」を「経験」に転化する]

>われわれは絶えず「体験」を「経験」に転化させるように努力しなくてはいけない。...

 われわれには、一つの経験しかない。その一つの経験を体験的なものに凝固してしまうか、あるいは経験的なものに柔軟に開いていくか。


p.102. [「経験」から「不可知論的」なものがなくなったときに、それは体験となり、荒廃する]

>ほんとうの経験というものには、絶えず一定の程度の不可知論的要素がはいっている。... そして、「経験」から「不可知論的」なものがなくなったときに、それは体験となり、荒廃になってしまうのです。


p.104. [「不可知論的」とは真の自己批判の対象であること]

> 不可知論的になるということは、私がよくいう、「自分自身に対して否定的な原理が働く」ことですが、たとえば、よく使われる自己批判ということばも、...

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