追記 2022/ 5/ 1:
池田の織姫伝説は、この雄略天皇の段ではなく、応神天皇の段です。呉服神社の祭神は、一柱は呉服(くれはとり)※呉織(紀) ですが、もう一柱は応神天皇の次の天皇である仁徳天皇(=大鷦鷯尊[おおさざきのみこと])です。
宇治谷 孟 : 日本書紀(上) (講談社学術文庫, 1988) p.306.
雄略天皇
池田の織姫伝説は、この雄略天皇の段ではなく、応神天皇の段です。呉服神社の祭神は、一柱は呉服(くれはとり)※呉織(紀) ですが、もう一柱は応神天皇の次の天皇である仁徳天皇(=大鷦鷯尊[おおさざきのみこと])です。
宇治谷 孟 : 日本書紀(上) (講談社学術文庫, 1988) p.306.
雄略天皇
> 十四年春一月十三日、身狭村主青[むさのすぐりあお]らは、呉国の使いと共に、呉の献った手末[たなすえ]の才伎[てひと]、漢織[あやはとり]・呉織[くれはとり]と衣縫[きぬぬい]の兄媛[えひめ]・弟媛[おとひめ]らを率いて、住江[すみのえ]の津に泊った。...
... 漢織[あやはとり]・呉織[くれはとり]の衣縫は、飛鳥衣縫部[あすかのきぬぬいべ]・伊勢衣縫部[いせのきぬぬい]の先祖である。
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