・理性の側面――準備・研究
堀 栄三 : 大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫, 1996) p.58.
第三善を戦場に送れ。次善は遅れる。最善はついに完成しない。つまり、最善の策をとるためには、戦争が始まる前から準備・研究していなければならない。>そのとき[:東京裁判]の板垣征四郎元大将の答弁が痛快だった。「相手との戦争を考慮して平時から準備するのが参謀本部で、それをしない参謀本部がどこの国にあろうか?」とやり返している。
東亜太平洋戦争の開戦は、1941年12月 8日だが、零戦は1937年 9月に性能要求書が出され、B-29爆撃機の試作機 XB-29 は 1940年 6月27日 に発注された。零式艦上戦闘機 - Wikipedia [2008年6月24日 (火) 16:22]
B-29 (航空機) - Wikipedia [2008年5月31日 15:49 の版]>零戦の開発は昭和12年(1937年)9月に海軍から提示された「十二試艦上戦闘機計画要求書」に端を発する。三菱では前作である九六式艦上戦闘機に続いて堀越二郎技師を設計主務者として開発に取り組んだ。十二試艦上戦闘機に対する海軍の要求性能は堀越技師らが「ないものねだり」と評するほど高く、ライバルの中島飛行機が途中で辞退したため、三菱単独の開発となった。昭和14年(1939年)4月に岐阜県の陸軍各務原飛行場で試作一号機が初飛行、翌昭和15年(1940年)7月に制式採用された。
>アメリカ陸軍の航空部門は、第二次世界大戦が始まる5年前の1934年5月に超長距離大型爆撃機開発計画「プロジェクトA」を発足させた。これは1トンの爆弾を積んで8,000km以上を飛ぶことができる爆撃機を作る計画で、長距離渡洋爆撃を想定していた。B-29はこの構想の中から生まれた機体で、1938年に完成した試作機(ボーイングXB-15)から得られた種々のデータや、新しい航空力学のデータをもとに設計製作された。1940年6月27日(ヨーロッパでの戦争は始まっていたが、真珠湾前なのでアメリカは参戦していなかった)XB-29が発注され、1942年9月21日に初飛行した。
・感性の側面――戦争を忘れない
国雖大好戦必亡 天下雖安忘戦必危
(国大なりと雖も戦を好めば必ず亡び、天下安なりと雖も戦を忘るれば必ず危し)。


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